私の実家は、自宅と自営のアイロン台工場がくっついた併用住宅とゆうのか、住宅付工場とゆうのか、まさに町工場とゆうのがぴったりの建物であった。
まわりの建物もほとんどが、住空間と商いの空間を一つの建物に詰め込んでいた。
父の知り合いが設計をしたと聞いている。
今となって、やっと設計者のこの建物に込められた思いや仕掛けを感じる事が出来る。
今回はその気づきを書き留めてみた。
1.全体の構成
通常2つの用途を分ける方法として、上下に分ける方法と、縦軸で分断する方法があるが
うちの場合は縦軸で分断する方法をとったコンクリ-ト造2階建て。
2.導線
工場部分は不必要なものはなく、上下の動きがしやすい様に工夫されている。
(単純に荷物用のエレベ-タ-がついているだけだが、エレベ-タ-がなければ工場と住宅は上下で分ける方法しかとれなかったと思う)
3.配置
住宅部分はコの字プランになっていて、光と風を入れるために中庭が配置されている。
4.役割
パブリックゾーンは今のようなLDKとゆう形式ではなく、リビングは応接間として独立した空間になっていて仕事の商談の場としても使われていた。
5.目線
住宅部分の1階は応接間と客間とDKがあり、応接間と客間は中庭に面していて
外の環境に関わらずプライベートは保たれていた。
6.デザイン
1階の中庭に面する開口は床から天井まで垂壁なしのスチ-ルサッシになっていて
大開口の為、開け閉めはとても重かった。
設計の仕事をするまではこの窓の意図はわかっていなかったが、
この部屋の解放感はこの大開口のサッシのおかげであった。
そしてこの家の肝は中庭。
2階は家族の個室で、私は末っ子ながらに中庭に面した部屋を使っていた。
両親の寝室は中庭を介して私の部屋の向側にあった。
両親の寝室は和室12帖で中庭に面する開口は、床から天井まで、巾は部屋の巾いっぱいまであった。開口できる部分は掃き出し窓になっていて、小さい頃はとても怖くて近づかない様にしていた。
この中庭に面する大開口はバルコニ-などがあるわけで無く、とても危険な掃き出し窓であった。
しかしその危険と裏腹に壮観であり開放的であり庭に植えられた竹の葉が重なりあって出る、シャラシャラとゆう音は何とも心地良く、都会の中でも自然を感じられる仕掛けであった事を今更ながらにわかった気がする。
気候の良い季節は窓を全開にして寝るのだが、早朝に窓を通して風と両親の声が聞こえてくる。家庭内の話や地域の話をしていたようで語気が荒い時や穏やかな時、
中庭がある事によって家族の様子が、何気に伝わってきた。
このように改めて見てみると、「住まいと仕事場」が共存する箱の中で、
それぞれの役割と心地よい空間を造り出す設計の意図がじわじわと感じ取れ
設計の面白さがにじみ出てくると共に愛おしいと感じてくる。
築50年が経とうとしているが、建物の使い方は工場も住宅も使用している人数や年齢が変わる事により変化したいたが、大きな改修をする事はなかった。
しかし、最近、工場の方は家業を廃業した。
ひっそりしてしまった。
今、私は頼まれてもいないけど工場部分は何かできないかと思案中。
せっかく大きな空間があるので何か利用できないか、
次は私の手で、中庭に抜ける新しい風を吹かせたと考えている。
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